趙玉祥老師の低架式三体勢

 趙玉祥老師は、山西車毅斎派形意門布式第三代、樊式第四代の伝人として、日本に
山西車毅斎派の形意拳を広めるべく、積極的に活動されている。





 趙玉祥老師は、現在の筆者の師父である。

 趙玉祥老師と知遇を得たのは、日本姜氏門内功武術研究会代表、伊与久大吾氏によ
るところが大きい。

 我々は、当時、中国武術専門誌「武藝」(BABジャパン)編集長、岩永祐一氏と、その
編集部員であり、我々の友人、堀内吾朗・広沢豊和両氏の勧めにより、「武藝」誌上に
おいて執筆するため、誌上中、未だ我が国の中国武術界に大きく紹介されていない名拳
士を発掘しようと試み、遠く茨城県在住の趙玉祥老師のもとを訪ねたのであった。

 趙玉祥老師は、中国国家第一級武術教練、同第一級武術裁判員、山西形意拳布学
寛研究会副会長を務められ、形意拳・太極拳・八卦掌に長じられた拳師である。

 特に形意拳については、終南派形意の名門、山西形意車氏三世、王喜亮師の薫陶を
受け,形意門の巨魁、車毅斎始祖から樊永慶師、樊師より楊永尉師へと伝えられた拳技
を現在に伝えられている。

 当時、趙玉祥老師は、主に中国武術の入門編ともいうべき簡化二十四式太極拳をは
じめ、形意拳・八卦掌を指導されていたが、形意拳については、武林泰斗、何福生老師
から伝えられた、我が国においても馴染み深い河北派形意拳を指導され、山西、車毅斎
派の形意については、例え趙玉祥老師に師事する者であっても、未だ秘中の秘として、
明瞭に見せられることも無く、八卦掌については、伝系不明、どういう経路を経て趙玉祥
老師に伝えられたものを教えられているのか、誰も知らなかった。

 筆者らが、師が、八卦門において九宮八卦掌の第五世伝人であることを知るのは、も
っと後のことであった。

 また、拳諺に「武器は手の延長」という有名な言葉があるが、趙玉祥老師は、各種の
武器法にも造旨が深く、得意とされる武器の数々は、枚挙に暇が無い。

 趙玉祥老師の拳技を拝見すると、形意拳については、(当時、山西形意拳は秘伝中で
あったので)豪快な河北派形意拳の風格を一目で感じとることができ、八卦掌について
は、八卦門特有の妙技に精通され、練法の中に見られる八卦の理は、当時八卦掌をも
継承されていることをしらなかった我々を納得させ、そして、趙玉祥老師が得意とされる
武器法については、忽ちに、その手によって扱われる武器の数々に、あたかも生命を吹
き込まれるが如く、まさに老師の身体の身体の一部と化しているかの様であった。

 このように、得意なものが多いといった事情が、逆に趙玉祥老師の本門を分かりにくく
した面は否定しえないが、「形意・八卦に拘らず、深く練りこまれた趙玉祥老師の拳技の
精髄は、中国武術専門誌『武藝』誌上にて、紹介すべきであろう」というのが、我々の結
論であった。



趙玉祥老師は、『武藝1996年春号』にて、
筆者の友人である冴峯萌氏のレポートによって、誌上に初登場された。



 数日後、我々は趙玉祥老師のもとを再び訪ね、取材を申し込み、快諾をいただき、取
材のために、趙玉祥老師の武術経歴を詳細に尋ね、そこで初めて、趙玉祥老師が終南
派形意の名門、山西形意車派三世、王喜亮老師の高足であり、八卦掌については、九
宮八卦掌の五世伝人であることを知り、同時に趙玉祥老師の山西形意拳・九宮八卦掌
の妙技にお目にかかることができたのである。

 初めて目の当たりにした山西形意拳は、手法は確かに形意拳のものであったが、風格
については形意拳というよりは、どちらかといえば、心意拳、心意六合拳のものという印
象を受けた。

 そして、趙玉祥老師が示範された山西車派の形意拳は、中国拳法の究極形といわれ
る河北派の洗練された形意拳とは風格を異ににし、荒削りであるが、力強い風格を備
え、趙玉祥老師の身体全体から発せられた拳式のひとつひとつに、我々は魅了された
のであった。

 こうして取材のために、繰り返し趙玉祥老師のもとを訪ねるうちに、或る日、趙玉祥老
師は我々に、「折角遠路はるばる取材に来るのだから、同時に私の武術を学んで行け
ばいい」とおっしゃって下さった。

 趙玉祥老師が個人的に指導しようとおっしゃって下さったことは、形式上、武術団体に
所属しないと教えないとされていた当時の習慣と比較して、我々は、趙玉祥老師の特別
な計らいだと感じ入り、非常に感謝したが、実は、これは我々に対する特別な計らいで
はなく、遠方より訪れる武術界の朋友を大切にすることは、趙玉祥老師には当たり前の
話であった。

 以来我々は、趙玉祥老師のお宅を訪問して、拳技を学ぶことになったが、当時の筆者
は、中国武術専門誌「武藝」(BABジャパン)での執筆の傍ら、東京の佐藤金兵衛先生
と、子息である佐藤敏行先生のお二人から、八卦掌を専門的に学んでいたので、趙玉
祥老師の八卦掌に、最も興味を抱いたのであった。

  八卦掌が、始祖董海川によって、各人毎に、その体格や従来学んできた拳技の特性
を生かして、共通した拳理を持たせつつも、套路自体は全く異なったもの、すなわち八卦
という原理そのものを教えたことは、周知の事実であるが、趙玉祥老師は、拳技を学ぶ
者の体型や特徴に合った八卦を教えることができる、数少ない拳師のひとりである。

 筆者が趙玉祥老師から主に学んだものは、趙玉祥老師の本門である山西車派形意
拳、形意梅花槍の槍術と九宮八卦掌等であり、特に九宮八卦掌は、八卦の理論に基づ
いて、筆者の体型に合わせられ、自身一代限りのものであり、槍術については、筆者に
向いているとのことで、趙玉祥老師御自らより、愛用の槍を譲り受けご指導いただいた。

 槍術は、槍が「長兵器の王」と呼ばれることから、我が国でも人気が高い。趙玉祥老師
の槍術は、まさに絶技であり、特に師の内家の槍は素晴らしく、必修の価値は充分にあ
る。

 また、この頃から、趙玉祥老師の秘蔵の資料の原本を借り受け、副本をとり、翻訳・整
理といった作業が始まった。現在、筆者は、趙玉祥老師の監修を受けて、師の師父であ
る王喜亮老師の拳譜、「山西形意拳譜」をもとに、これに趙玉祥老師の秘蔵の資料を加
えて「山西車氏形意拳譜」の整理と翻訳作業を進めている。いずれ、当サイトの翻訳工
房にて公開したいと考えている。

 こうして、筆者の武術修行は、充実したものとなったが、武術に対して縁遠くなってしま
った。筆者の中国武術開門の師である、佐藤金兵衛先生の逝去である。

 佐藤金兵衛先生は、筆者にとって最も影響を与えられた先生のひとりである。筆者
は、現在の自分があるのも先生のお蔭であると考えている。

 東京の佐藤金兵衛先生の門下では、現在高橋伸司先生や臼井真琴先生が活躍され
ている。

 特に筆者が非常にお世話になった臼井真琴先生の八卦掌は、中国本土の大会におい
て、「あなたの(臼井真琴先生の)八卦掌は、実戦、表演に拘らず、最も素晴らしい」と、
並み居る八卦門の伝人を押しのけて評価されている。

 筆者は、佐藤金兵衛先生から、いつも口癖のように「臼井君を見習え」と言われていた
ことを思い出す。

 さて、恩師佐藤金兵衛先生の話は別の機会に譲り、趙玉祥老師の話に戻ることにす
る。




2002年4月14日
拝師式での筆者(左)と趙玉祥老師(右)


 佐藤金兵衛先生が逝去されたときに、中国武術専門誌「武藝」(BABジャパン)での取
材を通じて知り合った多くの老師らに、「師がいなくなってしまったなら、私について武術
を続けなさい」と、声をかけて頂いたが、その中でも真っ先に声をかけて下さったのが、
遠く茨城の地より心配して下さった趙玉祥老師であった。

 その時筆者は、自分の師がなくなってしまったので、武術も何もする気になれず、練拳
にも身が入らなかった。

 それから数年の歳月が流れたが、趙玉祥老師は、その間ずっと私に連絡を下さり、熱
心に山西車毅斎派形意門、趙玉祥老師の門下へ加わるようにおっしゃって下さった。

 そして2002年4月14日、趙玉祥老師の第七番目の弟子として、筆者は趙玉祥老師
の門下に加わることになったのである。

 これより以下、趙玉祥老師の拳技について、印象に残っていることを、ご紹介する。



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先師王喜亮伝
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