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第一首
頭頂?勾身正直,?腰鼓腹虚実歩,
沈肩墜肘伸前臂,?腕挺掌食指拉。

 第一首は、八卦掌の基本?歩の要求を謳っている。

 「頭頂?勾身正直」

 頭頂は、また「抜頂」ともいい、これは頭頂を真直ぐ上に向かってぴんと伸ばし、姿勢を
正して頭部を適切な位置に置くことである。?勾は、「?」は顎、「勾」とは「レ(チェック
印)」を付けることであり、これを換言すると顎を引いて頭頂を引き上げるという意味とな
る。

 八卦掌の姿勢は、顎を正し、頭頸部を端正に保持し、頭の位置が前に俯いても後ろに
仰いでも、また左右に傾斜してもいけない。

 頭頂と?勾は相互に補い合う関係であり、第一句は、八卦掌の姿勢は、その要求にお
いて頭・頸・身体を真直ぐな状態を保持しなければならないということを意味している。

 「?腰鼓腹虚実歩」

 ?腰とは、腰部を前に向かって水平に出すこと、鼓腹とは、腹部に気を充実させて奮
い立たすことである。

 虚実歩は歩型の要求である。これは即ち一脚実歩、一脚虚歩にて形成された歩型の
ことである。

 八卦掌のこの歩型は、後脚実、前脚虚、両足斜平行となり、実脚は重心を維持し、虚
脚は転動において便宜を図る。

 「沈肩墜肘伸前臂」

 沈肩とは肩関節を鬆開させることであり、肩に力を入れて窄めず、同時に肩部を水平
に保たなければならず、一肩高、一肩低となってはならない。

 墜肘とは、肘を下に向けて置くことであり、これらすべての句の意味は、肩関節を鬆開
させ、臂(腕)と膀(肩甲骨)を伸出し、肘関節をわずかに屈して下垂させるという意味であ
る。

 「?腕挺掌食指拉」

 ?腕とは、手首の関節を内に向かって?転(ひねる)させることであり、挺掌とは、手掌
を外に向かってぴんと伸ばすことであり、この手掌には挺勁がなくてはならない。このと
き食指(人指し指)は、挺掌させた手掌と相反方向に引く(拉)。


 第二首
 一臂伸推一臂屈,眼向伸臂虎口?,
 伸臂推把屈拉弦,好如弯弓射大雕。
 
 一臂(腕)は伸展させ、一臂(腕)は屈曲させる。

 眼晴は伸ばした一臂(腕)の虎口を注視する。

 伸臂(腕)は弓の推される形を模し、屈臂(腕)は弓弦の引かるるを模す。これらは弯弓
射箭の姿態である。

 站立時、終始これらの手型を保持し、全身に神を貫注させ、すこしも懈怠な姿態となっ
てはならない。走圏・転掌時もまた同様にこれらの形態下において圓圏を歩み、盤旋し、
以って八卦掌は全力で決戦の地に赴くのである。


第三首
虎口圓?掌心凹,拉指挺掌指上?,
推把拉弦拡胸肺,屈膝躬歩練腿功。

 虎口は、拇指と人指し指の間の部位であり、拇指と人指し指を半圓形に似せてぴんと
開かせ、手掌の掌心を凹形にくぼませなければならない。

 人指し指を引き、掌を挺し、手指はすべて上に向ける。

 拉弦の動作は胸肺の健身作用を拡げるのを推進し、屈膝躬歩は腿の歩調の基本功を
訓練する。


第四首
屈膝躬腿?泥歩(*),外扣内直走圓圏,
?腰?腰把肛提,形如推磨團團転。

 第一句は、屈膝躬腿の姿勢下において、?泥歩(*)を用いて走圏をおこなうことについ
て述べている。八卦掌の鍛錬で最も重要な重点訓練は、両腿を練ることであり、両腿の
霊活な運用を達成する。

 ?泥歩(*)は、湿って滑る泥状の地面の上を走行するのによく似ており、戦々恐々とし
て滑って転ぶのを恐れるのと同様である。

 第二句は、走転時、外足は扣歩となり、内足は真直ぐ歩くということについて述べてい
る。伸臂した腕と同じ側の足を内足といい、屈臂した腕と同じ側の足を外足という。扣と
は、足尖を僅かに内側に向け、脚跟(かかと)を外側に向ける脚型であり、八卦掌はこの
様にして、ようやく圓形をなすように歩むことができるのである。

 第三句は、走圏時において?腰(*)・?腰(*)、収提肛門(*)について説き、下半身を穏
固とし、氣を丹田に沈め、腹部を実として腿の増強を成す。

 第四句は、八卦掌の走圏時の姿勢が、人が石臼を挽くように圓圏を転ずることの形容
である。「磨」とは石臼を挽くことであり、「團團転」はぐるぐる回るのことである。そしてこ
の句は、ここから「形は石臼を推すが如く、ぐるぐる回る」という意味となる。
 

第五首
?腰?頸?腰鼓腹,屈膝躬腿脚趾抓地,
身随歩転手随身?,結合呼吸化納吐攻。

 ?とは?転、即ち向きを変えることであり、?腰とは腰部の?転、腰部をねじってその向
きを変えることであり、?頸は頸部をねじってその向きを変えることである。

 ?腰鼓腹はひとつの作用であり、腰の一?は自然的であるが、しかし腹部は例外なく鼓
の如く充実し、奮い立たつ。

 この様な利点は、腹式呼吸によって形成されるのであるが、これは武術用語でいう、
所謂「氣沈丹田」と同じことである。

 八卦掌を練る者は、腹式呼吸を日常的に保持しなければならない。行動坐臥にはすべ
て氣沈丹田を要し、これらの習慣を養成するのである。

 掌走時にあっては、呼吸を配合しなければならず、先ずは一歩一呼、一歩一吸、次に
二歩を一呼、二歩を一吸、更に次第に呼吸が長くなるよう深長な呼吸を練得する。

 換掌活動時もまた呼吸を配合する。走掌時、膝を屈し腿を曲げ、身体を下蹲させ、脚
は落地時に足の指でしっかりと地面をつかむ(抓)。身体は歩に随って転圏をおこない、
手は身体と同一方向に?り、挺推させた手掌に引かれる(拉)のに随わせる。

 換掌活動時、呼吸と動作を結合させ、攻撃型の動作には吐氣を配合し、解法・化勁等
の防御型の動作には吸氣を配合させなければならない。

 
 第六首
 走掌身躯莫傾斜,前俯後仰都禁忌,
 ?腰小腹緊貼股,歩履沈着勢平穏。
 
 走掌時、胴体部は傾斜してはならず、前俯・後仰もまた、いずれも禁忌である。これら
の様な説は、身躯を中正に保たなければならないということであり、これは武術用語で謂
う所の「尾閭中正,頭頸貫頂(*)」のことである。

 腰は「?(ねじる)」を要し、左臂(腕)を伸出すると、左に向かって?り、下腹部を左大腿
にしっかりと着け、腰を据え(靠着)、右臂(腕)を伸出すると、右に向かって?り、下腹部
を右大腿にしっかりと着け、腰を据える(靠着)。

 歩法は沈着に歩まなければならず、身法・手法が共に平穏であることを要し、走圏時
の架勢には、波浪のように上がり下り、高低するように起伏があってはならない。


 第七首
 勢勢動作左右練,循環往返不散頓,
 先向穏実求平正,神奇百変熱中生。
 
 八卦掌の動作は、すべてその動作毎に左右を鍛錬して熟達しなければならず、断つこ
となく、循環往復してその練習をおこなう。

 それは、練習時にあっては、質と量に基づき、散漫にならず、停滞せず、特に敵人との
交手にあっては止まることがあってはならない。一度止まれば、それは即ち敗れるところ
となる。

 先ずは着実な練習を踏襲し、真諦の数々を理解し、動作の恭正を求め、呼吸と規格を
合わせ、よく基本功を練る。多練して知慮を生じ、練ずれば、熟達に到り、自ら熟中に巧
を生ずることができる。拳理の蒙が啓に到れば、啓はよく練に到り、よく練到れば練精に
到り、精到れば出神入化に到る。

 これは、長期の艱難に満ちた鍛錬を経ることによって得られたものである。武術の所
謂「出神入化」は戦時、敵に応ずる環境中、客観的な環境の中にあることができるので
ある。
 

 第八首
 穿掌手貼肘下出,避実乗虚才有功,
 脚踏中門尋門路,斜出正入随人動。
 
 第一句は穿掌をどこの部位から穿出するのかを教示している。穿掌は、自己の他の一
臂(腕)の肘下にぴったりと貼付しなければならない。

 第二句は、穿撃の時についてである。敵対時、敵の実を避けて、虚を撃つことを要し、
その弱点を攻めてこそ、はじめて半分の能力で倍の成果を上げることができ、容易に目
的を達成することができるのである。

 第三句は、実を避けて虚を撃つ方式を以って、中門を踏襲しなければならないことにつ
いて述べている。中門の部位の解釈は、各門各派のせつは同一ではなく、八卦掌で謂う
ところの中門は、漫歩にて歩む両脚(*)の外側の中心部である。

 第四句は、どのようにして中門を踏むのかについて述べている。その方法を為すのは
歩法であり、斜に出でて正に入る。そして更に敵の変動に対して臨機応変に随うことを
要し、勢によって当然に敵を制するのである。

 
 第九首
 穿掌手法要牢記,後掌穿出前掌収,
 相互配合相輔成,身手腰歩斉変動。
 
 穿掌は八卦掌の重要手法のひとつである。それゆえに八卦掌を教導する者、そしてこ
れを学ぶ者は、穿掌の方法が後掌を穿出するときに同時に前掌を収回して防御に用い
られることを、しっかりと覚えておかなければならない。

 穿掌動作とその活用には、穿には穿の作用があり、収には収の意義があり、二手を相
互に配合し、互いに相補(*相輔)わせることによって成る。

 穿掌の手は、穿出或いは収回のとき、身体・腰・歩法・歩行等、すべての動作は配合を
一致させて一斉に変動させる。


 第十首
 走圏三盤逐歩練,初練上盤架稍高,
 中盤屈膝勢漸蹲,低盤講究平膝胯。
 
 八卦掌は練走を以って主要な鍛練の中心をなす。重要な訓練は両腿にあり、両腿の
霊活な運用を達成する。

 練法には異なった三種の練法があり、その名称を三盤という。

 八卦掌の鍛練開始時、架勢をやや高くしてもよい。これを「上盤」練法という。続いて膝
を次第に蹲屈させ架勢を少し低くする。これを「中盤」といい、練功を続けていって胯と膝
が同等に水平に保たれたとき、これを「下盤」という。

 架勢の蹲屈が低ければ低いほど、その運動量は大きくなる。

 人によって、何を以って標準となすのか、これらの三盤の低度を問う者がいるであろ
う。これらの説明では、架勢が最も低く、胯と膝が水平となるのを以って基準となし、続い
てこの基準を本に一つの上盤の目安を作り、更に上盤から下盤の間を区分して中盤の
一つの目安をなす。これが一般的な区分法である。


 第十一首
 舌抵上顎鼻呼吸,気沈丹田同導引,
 動作呼吸応配合,得機得勢軽鬆霊。
 
 鍛練時、鼻で呼吸をおこない、呼吸時には、舌で上顎を支え、更に呼吸を深く、長く、
そして細く沈むよう、息を保たなければならない。

 気沈丹田は腹式呼吸であり、呼吸時において腹部を一鼓一縮(*)させる。気功の古代
名称を導引というが、八卦掌の鍛練に用いられる呼吸は、気功と同じ像をなす。動作と
呼吸の配合は、一般には攻撃型動作の場合には呼気を用い、解法・化勁等、防御型動
作の場合には吸気を用いる。

 動作と呼吸を結合したなら、動作は更に軽鬆霊活となり、機を得て勢を得ることができ
る。
 

 第十二首
 上下相随宜一致,身手順随腰腿動,
 歩法変化走転移,機動霊活合時機。
 
 動作及びその活動は、全身上下の配合が一致しなければならず、身体、手法が順(す
なお)に腰腿の活動につき随う。俚諺にいう「手膀拗不過大腿(手膀の拗は大腿にかなわ
ず)」であるが、この句の語るところは、すなわち単純な手の動きは、機を得ず、勢を得
ずとなる可能性があり、動作の要求を完成させることが難しい。脚歩の一動とこれを結
合したなら、機霊(*)を求めて、敵方に対して有利となり、規格と合うということである。

 歩法変化の目的は、敵の攻撃目標の転移であり、動作は機動霊活でなければなら
ず、敵方に応じて、時機に適合する。
 
 (*)機霊…「機」は機会の機、すなわちタイミングのことであり、「霊」とは霊活、敏いこと
の意である。
 

 第十三首
 扣歩形成正三角,足尖膝蓋同相合,
 擺歩成為八字形,足尖脚跟二交合。
 
 扣歩と擺歩は、共に八卦掌の最も主要な歩法である。前脚(あし)は動かさず、後脚(あ
し)を前脚(あし)に合わせ、続いて進め、両足尖と膝蓋が相合するよう歩形を形成し、一
個の三角形を為す。これを扣歩という。

 前脚(あし)は動かさず、後脚(あし)を進め、脚跟(かかと)と前脚の足尖を相交わらせて
合わす。これを擺歩という。

 
 第十四首
 上歩後足超前足,進歩前足向前行,
 撤歩前足越後足,退歩後足向後行。
 
 第十四首は、歩法の定義について述べている。

 後足を前に進め、前足を超過させる。これを「上歩」という。前足を前にむかって行走さ
せる。これを「進歩」という。前足を退き、後足を越過させる。これを「撤歩」という。後足
を後ろに退く。これを「退歩」という。

 これらの歩法は、進退虚実の基本となる。八卦掌を練る者は、歩法の奥妙に精通しな
ければなならない。
 

 第十五首
 尚徳不尚力,尚智不尚勇,
 尚力与尚勇,遅早必落空。
 
 武徳について述べなければならない。強い力、人を欺く詐術を頼らず。万が一やむを
得ず敵と交わざるを得ない時は、智謀を以って頼りとする。匹夫の勇を尚ず。力を過信
し勇を侮る者は、強者の中の更に強者の招法にあって、勇を一時的に見せびらかすが、
未遇の高手で?(なんじ)に比べてより強い者に出会うなら、?(なんじ)は就ち失敗し、目
的を達することができず、ついには敗れるところとなるであろう。

 これは先人より伝えられた訓戒である。練学者は強く心に銘記すべきである。


第十六首
身如游龍雁騰空,虎撞*?泳蛇行動,
圍回聨連勢无定,斜横進退談笑中。

 中国では古来より、游龍を以って、矯健(*)と霊活を形容した。雁騰空は、雁が天空中
にあって思うままに飛翔するの似ていることから謳われ、虎撞は虎の抓撲の動態を模倣
したものである。亀泳はクサガメが水中にあって首をもたげて遊泳する様を模し、水をか
く動態である。身腰転動は、蛇が蛇行して動くときに、とぐろを巻き、身をくねらせる様と
獲物を取り、首をもたげて一縮一伸する形態を真似る。

 これらの動作は、運用時にあって敵方を迂回、往来して取り囲む。聨連として断たず、
勢によって利を導き、変化には定まるところ無く、また、身心を鎮定させて安閑となし、人
がふざけて遊び戯れる一様によく似、心の赴くままに自由自在となり、軽やかに放鬆し、
心身爽快となる。


第十七首
此掌奥妙在走圏,歩法制勝脚力功,
扣擺?行踪獏測,視前忽後幻変奇。

 八卦掌の奥妙は機動性を備えた霊活な歩法にあり、それは圓圏を歩むという方式を用
いて両腿を訓練する。両腿の霊活な運用は、歩法の脚力を以て勝ちを制することができ
る。すべては平時における走圏脚力訓練にある。歩法の訓練は多種多様であるが、扣
歩・擺歩・?歩は、幾種類もの歩法中、主要な訓練方式である。

 これら幾種の歩法をよく練った後には、就ち歩法の転換は快速且つ敏捷におこなうこ
とができ、運用時においては、歩の行き先が変幻にして測られること莫く、往々にして敵
が前を見れば、却って身の後方に突然出現するようになる。
 
 第十八首
 脚踏中門尋門路,手随人動順敵情,
 起而未落占中央,敵縦有備亦難防。
 
 防御、或いは進攻のとき、我らは自己の脚を敵の「中門」に挿し入れ、踏ませなけせな
ければならない。

 各派の武術には各自所謂「中門」があるが、八卦掌東城派の所謂「中門」は、敵が漫
歩しているところの両脚の外側の中間部であり、その目的は、避実撃虚である。

 同時に招式を繰り出すのは、敵人の刻一刻と異なる活動変化の状況に随い、不同の
招式を用い、不同の手法にて、これを処理し、「我のこの一招は、いかなる手法であって
も、すべて撃破することができる」というような大言壮語を切に忌み嫌う。これは非客観
的である。

 我が手を出すときにあっては、敵と手法を交えることとなるので、それならば我は敵の
中央を占拠すべきであり、中央のこの部位にあって、手法を挙起落下させ、更に道程に
接近し、攻防のすべての便を容易に果たす。そして我は敵の中門に占進し、すなわち
我、優勢を占め、敵をして劣勢に落としむる。

 敵を劣勢な地位に置き動を被らせる。これは、敵を常に機を得ず、勢を得ずという情
況に置き、いたるところに牽制を受けさしめ、敵に我の手法を防ぎにくくさせることであ
る。
 

 十九首
 出手要一不要二,以多勝少要記牢,
 若能識得其中意,優勢常在掌握中。
 
 敵方が我らを攻撃するとき、我は敵方の攻撃目標を選択し、その形勢に依拠して、こ
れを処理しなければならない。

 この目標は、双方の形勢が、敵方が一なら、我は二。敵方が一手一脚なら、我の形勢
は二手二脚で応じなければならない。二手二脚にて一手一脚に対処する。これは多を以
って少に勝つことである。

 もし、多を以って少に勝つという意義を理解することができるなら、我らはすなわち、敵
方に対して常に優勢な地位に身を置くことになるであろう。
 

 二十首
 出手招招因人動,封鎖対方最有功,
 歩従三角転移妙,手取十字利化功。
 
 我らが繰り出す招式やその方法の数々は、客観的状況の変動に随わなければなら
ず、これは被動中に主動を争う要求に従うことであり、我が発出する招法は、敵方の手
脚を封鎖できなければならず、「歩従三角,手取十字(歩法は三角に従い、手は十字に
取る)」という口訣は、その主要な動静の方式であり、方法でもある。

 八卦掌は、これを学ぶ者を、常に教導する。「歩従三角,手取十字(歩方は三角に従
い、手は十字に取る)」と。
 

 第二十一首
 単換掌訣
 出手順敵意,提防左右攻,
 敵退前足起,敵進後足行。
 
 我が繰り出す招法は、敵方の意図と符号し、客観的な状況に順う。左右両側の進攻を
防備し、敵方が撤退した時、我は前足を先動させ、敵方が前進するなら、我は後足を先
動させる。


 第二十二首
 走身掌訣
 敵進我走避鋭鋒,譲出地位引落空,
 回首一撃常切中,敗中取勝時有功。
 
 敵人進攻時、我は走を用い、歩法を転移させ、彼の猛烈な攻勢を避ける。走の目的
は、敵人の攻撃目標を移転させることにあり、敵をして、引人落空せしめるのである。

 我は歩法を移転させて有利となり、反対に攻勢をしかける地位を得て、その不意に出
ずるので、後ろを振り向いて敵人を一撃しても、常にこれを撃ち、当てることができる。こ
の種の動作は敗中に到れども勝を取る作用から起こる。

 敵対時、我は受動中にあっても必ず主動を争取しなければならない。さもなくば、武術
界において俗に謂われるところの「只有招架之功,全无還手之能(ただ招架の功がある
だけで、迎撃する能力が全く無い)」という状態を成就させることになる。
 

 第二十三首
 転身掌訣
 敵正我正奇,敵奇我奇正,
 柔身拉舵尾,順水駕軽舟。
 
 交手の時、方位について言うならば、これには様々な説があり、敵人を正位に置き、我
を置く位置は、正中に奇であることを要す。敵人の位置が奇位にある時、我は就ち奇中
に正が有ることを要す。

 化勁は航行時に方向を転ずるのに推動される船舵と同様であり、その性能に順って、
水の流れに逆らわず運航される船に似ることを要し、水勢に基づき、波に随い流れを追
う。順流に乗って下る。この種の状況下にあれば、船もまた軽快である。
 

 第二十四首
 背身掌訣
 撃左右応,撃前後応,
 相互呼応,使敵難応。
 
 敵人が我の左側を攻撃するなら、我は右側の肢体を用いて護り、我の前方を攻撃する
なら、我は、首を撃てば則ち尾で応じ、中を撃てば則ち首と尾で相応ず、所謂常山の蛇
(*)の如く後方より護る。これは八卦掌の相互に援護する方式の応用である。自己の側
において相互呼応・援護作用を果たすことができ、敵方に一撃を中てさせず、却って彼
自身が同時に反撃を受け、突然これを処理することが難しいと感じさせるのである。

 
 第二十五首
 回頭掌訣
 閉滾防左右,回頭退為進,
 近擠走離遠,付力長身形。
 
 「閉」と「滾」は共に重要な字訣であり、「閉」とは閉じること、ここでは身体の中心に力
の方向がまとまること、「滾」とは転がすこと、ここでは敵の攻撃を捌くこととそれぞれ解
される。これら二字訣の動作の作用は、主に防御にあるが、第一句は、敵の、左方と右
方から来る攻撃を防御することである。

 「回頭」とは振り返ることであるが、この動作の作用は、退を以って進を為し、形式上、
走り去る姿に見えて後退するが、その作用は却って進攻を促す。

 敵の攻勢発動時において、我がこれを避けることができない時は、我はその反面敵に
接近して、これを押しのける。敵の攻撃を迎え入れて進入するのは、就ち彼の攻撃作用
の力点をずらすためであり、これは一面では防御であり、また別の一面では攻撃であ
る。我と敵との距離が近いことによって、我は後に動いても常に先に到ることができ、敵
方の手を外へはじき、防御に間に合わなくさせる。

 「走離遠(*)」は倒置句であるが、その意味は、敵が離れた位置にあり、我と敵との距
離が遠距離の時、敵が就ち攻撃の招法を発動させるなら、我は歩法を用いて歩み目標
物を転移させるということである。

 付力長身形は、我が門の発勁動作の形態のことであり、勁を伸びやかに発するのであ
る。
 
 走離遠(*)…離遠ならば歩む
 

 第二十六首
 挑勾掌訣
 挑掌藏身進歩,勾掌退歩進身,
 敵人正面進攻,挑勾上下呼応。
 
 挑掌を用いるには、手は挑掌と同時に同じ側の足を進めなければならない。これは即
ち左手を用いる挑掌では左足を進め、右手を用いる挑掌では右足を進めるということで
ある。

 挑掌は、却って身躯を手の掩護の下に隠すことができるようにしなければならず、また
自然とそういう状態にするのである。

 勾掌を用いるには、手勾時において同じ側の足を後ろに向かって撤退する。

 敵が正面から侵攻してきた時における挑勾掌の応用は、我はこれらの動作を用い、上
下を相互に連環させてこれに応ずるのである。


第二十七首
探掌訣
側身伸臂示虚空,身胸暴露誘人攻,
引得対方乗隙進,纏撹封探争主動。

 探掌の動作形態は、身体の横側で両腕を上下平行にし、両手掌を上に向け、同一の
方向に伸ばすというものである。これは頭頸部を保護し、敵に対して身胸部を晒し、乗ず
べき隙があることを認識させて、これを誘引し、前方へ進攻させる。この誘引によって敵
が我が虚に乗じて進攻してきたなら、そのとき我は纏?を用いて敵の探等の動作を封じ、
勢に因って宜しきを制し、極力主導権を握るよう努める。


第二十八首
翻身掌訣
翻身掌法守為攻,翻滾?転随人動,
順従客観?主観,穿?挂游霊活用。

 翻身掌は守を以って攻をなし、翻・滾・?・転はすべて敵の動に対応する。また、例え
人の動に因っても、客観的な変化に従い、自らの主観を強めず適度に整える。これは
「随人動(人の動に随う)」について説明しているのである。

 武術の一つ一つの動作には、すべて各自戦闘時の適応性があり、万能の必殺の「招
法」「着法」は無い。動作は敵の選択に適応し、霊活に応用することを要し、決して全く変
わらないものであってはならない。

 八卦掌の教導は、備戦を以って学となし、応戦を以って学となす。平時の訓練は、就ち
技撃準備の鍛錬である。これらの基礎があって、ようやく天災に備えることができ、出陣
時に慌てて、どうしたらよいのか分からなくなり、手も足も出なくなるというようなことは無
くなるのである。


第二十九首
八卦掌法不?架,予欲取捨順中成,
手出要択途径近,後発先至不勝防。

 八卦掌は、敵との交手において、敵の攻撃を遮るのに、力に頼んで支える方法を用い
ない。不?不架、これは八卦掌の重要な戦術の一つである。不?不架は、敵と無理に争
わず、強抗せず、軽柔な手法を用い、敵の動作の勁路と回路に従って解化させる。有時
にあっては、機敏に動き、干脆に歩法を用いて転移し、彼をして目標に攻撃せしめ、ま
た、彼をして空目標上に攻勢を発動させ、転移と同時に、その時の形勢に従って招法を
繰り出してこれを迎撃する。この迎撃の道程線路は近くなければならず、常に人の後に
あって発し、人の先に到る作用を果たすことができ、攻撃を成功させるという目的を達成
するのである。


第三十首
粘黏連随不?頂,不?不架順敵情,
譲出地位争主動,動人将動動人静。

 第一句は粘黏連随を用いて、失わず、逆らわず、敵に対応すること。第二句の不?不
架の運用は、敵の状況に切に合わすことを要し、敵に従って随機応変でなくてはならな
い。第三句は、敵に隙を見せて誘う方式を用いることについて述べ、敵の攻撃目標を移
転させ、主導権を争取する。第四句は、どのような時に動ずるのか。動、即ち敵の動が
まさに動であるのなら、先発制人であり、またそれが静であるなら、我は逸を以って労を
待つのである。
 

 第三十一首
 人剛我柔全仗走,創造条件奪先手,
 転入我順人背時,柔転剛兮粘即発。
 
 敵の猛烈な攻撃には、我は柔を用いてその鋭きを避ける。その際に大事なことは、走
を用いて対応することである。歩み、招法を発する像は後手を落とす。これは引進落空
のためである。こうして勝利の条件を創り出せば、被動中、すなわち敵の動きに応じて
我が動いたとしても、先手を奪取することができる。「我順」とは、自己が有利な形勢、即
ち優勢にあるときのことであり、「人背」とは、敵が不利な形勢、即ち劣勢時にあることを
いう。

 このような時にあって、柔は転変して剛とならなければならず、即座に勁を発するので
ある。
 

 第三十二首
 剛在先兮柔内藏,柔在前兮剛相輔,
 剛中藏柔柔寓剛,剛柔変化端在歩。
 
 先に剛があるとき、他の者もまた剛であることを防がなければならない。両者が剛であ
り相遇すれば、必ず傷を負う。この種の状況時に遭遇したなら、我は就ち、須らく柔を以
って剛を助ける。

 先に柔があるとき、他の者もまた柔を用いて我に応じて来る。この種の情況下にあっ
ては、我は就ち、須らく剛を以って柔を助ける。

 剛中に柔有り、柔中に剛を藏し、剛柔は互いに相補い合って、そして相成す。どちらか
一方にこだわって変化しないということはできない。これは、剛と柔の変化における要求
である。八卦掌を対練する者は言う「剛柔の調済は、主に歩法の霊活な運用にあり」と。

 
 第三十三首
 眼到手到腰腿到,全身協調勁発整,
 能伸能屈歩履穏,得機得勢能制人。
 
 第一句は動作配合の要求である。眼に一度映れば、即刻、身手腰腿の全てが動き出
す。身体全部の動きを反映している。全身を配合させて協調し、発出された勁は、それ
でようやく完全に整い、充実し、伸びやかで全身が強調して(鬆浄)、安定したものとなり、
勁を伸ばしては、屈することができ、発しては収めることもできる。

 伸屈もまた互いに相補い合って相成する関係であり、同時にやはり、歩法が穏やかで
安定しなければならない。これらを実行すれば、自己はすでに機を得て、勢を得て、有利
な形勢のもとに、常にあるようになり、これによって敵に勝ち、勝利を制すところとなるの
である。
 

 第三十四首
 精神貫注気勢充,鎮定安閑不惶恐,
 眼偵敵情是先鋒,憑仗手脚霊活用。
 
 敵との交手時において、我は精神を集中し、貫注させ、気勢を充実させなければなら
ない。同時にまた、安閑として精神を鎮定させなければならず、緊張したり、惶恐として
はいけない。眼の任務は敵情の偵察である。したがってそれを先鋒といい、思うままに
手脚に任せて突撃し、敵陣を落とす。随機応変、霊活に手脚を運用して、任務を完成さ
せるのである。
 

 第三十五首
 出手打人腰歩催,進退咸宜脚跟随,
 悟得走化転移意,八卦真諦在其中。
 
 出手打人は、腰と歩法の配合を促しておこなうことを要し、進退はすべて脚跟に随い、
脚跟は自己の重心を移動させて配置するのに随い、身体を霊活に移転させ、利便をを
調節する。八卦掌の応敵は主に歩法の移転にある。交手時において走化転移の作用を
悟ることができれば、それは、就ち八卦掌の要領を理解し悟ったということであり、その
要点を掌握したこととなる。
 

第三十六首
八卦真諦不玄虚,順遂解化走移転,
不?不架不?頂,捨己従人順敵情。

 八卦掌の理論は、空虚ではなく、また捉えどころがないものでもなく、生理学、物理学
の総結を拠りどころにしている。あの時代にあっても、この様に現代科学の理論に合致
しうるとは本当ありがたいことである。多くの論点は弁証唯物主義思想と交じりあってお
り、実にありうべき宝といってよい。更に難解なものに属し高貴なものとなすことができ
る。

 八卦の理論は客観的な形勢と自己の置かれた境遇の条件から解化して転移すること
を要し、不?不架、不?頂の原則のもと、主観を捨てて、実際の情況に従い、問題を処
理する。

 情況は絶え間なく変化する。新しい情況下においては、新しい環境に適応した新しい
方法を用いなければならないのである。

 論 賛
 論兮賛兮三六首,八卦真諦含其中,
 黙識揣摩苦鍛煉,功夫不負有心人。
 苦鍛煉兮苦鍛煉,日積月累貴有恒,
 自強不息増技芸,尚武精神楽健康。
 
 歌訣の三十六首は、八卦掌の鍛煉要領をすべて中に含む。これを学ぶ者は、体得し
て理解し、そしてその真諦を研究し、それらに照らし合わせて刻苦鍛煉をおこなわなけ
ればならない。

 鍛煉には恒心、すなわちたゆまぬ努力を要し、日積月累、自強不息である。功夫を苦
しいと思わず、勤練の者は、自ずから不断の鍛煉中に功力を高く引き上げることがで
き、技芸を増進させる。

 祖国の武術、中華特有の尚武精神は、人を幸福な境地に導き、健康的な生活を楽しく
過ごさせるのである。
 

  
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トがなく、表示できませんが、ワードファイルの中では、二字を除いて、すべて表示できま
した。

 上記の資料は当會會員の方々には、すでに配布済みであり、現在は内容を研究中で
す。

 何か、他の解釈がございましたら、メールにてお知らせ下さい。参考にさせていただき
ます。

 
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