鶏形四把は、形意拳の主要な伝統套路のひとつであり、この套路の技撃性は、他の形
意拳の伝統套路に比べて強く、高い実戦的価値を有する。

 乾隆十五年、心意堂秘蔵の六合拳譜の(*1)開篇に四句の(*2)讖語がある。「四把英
雄非等閑,五行六合変勢難,学者要得真消息,全在動静両字間」と。

 これらの句は、即ち四把拳の重要性を説く。四把を学ぶ者は、讖語の意味を詳細に噛
み締めなくてはならない。


                                             王喜亮

                              〜王喜亮著、山西形意拳譜より〜

  <訳者註>
 (*1)開篇・・・・冒頭にある前置きの歌訣。
 (*2)讖語・・・・未来を予言する言葉。




四把英雄非等閑,五行六合変勢難,
学者要得真消息,全在動静両字間。




鶏形四把

 「四把英雄非等閑」

 解釈・・・・「四把」とは、本節の套路、鶏形四把、形意四把、或いは心意四把捶のことを
さす。

 形意拳は、もともと意拳、心意拳、四把拳等と呼ばれ、形意門の源流を探ると、必ず四
把に行き当たる。

 四把の一招は、至って簡素であるが、技撃性に優れ、形意門の精華が凝縮されている
といっても過言ではない。本門の始祖、姫公龍峰先師は、自身の拳論著作である「四拳
勢論」において、四把捶の拳理について言及している。

 上記のことからも分かるように、「四把英雄」、即ち鶏形四把は、本門形意において、特
別な価値を有し、極めて重要視される套路である。

 「四把英雄」とは、四把の使い手を誉めたたえた句である。「等閑」は、「普通、ありきた
り」の意であり、ここでは、「非等閑」としてあることから、「ありきたりに非ず」ということに
なる。

 この句は、「四把英雄は非等閑」であるので、「四把の使い手である英雄は、ありきたり
に非ず」とよめる。これは、すなわち四把を用いる英雄は、その技量が尋常ではないこと
を謳っているのである。


「五行六合変勢難」

 解釈・・・・「五行六合」とは、本来「意拳」、即ち「形意拳」或いは「心意拳」のことの形容
であるが、ここでは「鶏形四把」のことを指す。

 この句は「五行六合は変勢難」、或いは「五行六合が変ずれば、勢は難」と読める。
「勢」とは、「招式」のことであるが、この句には二つの解釈ができる。

 先ず第一の解釈であるが、「五行六合変勢難」は、鶏形四把の速さがあまりに快速な
ため、その招式を変化させることが難しいことを意味している。

 第一の解釈は、鶏形四把の起落が猛迅であるため、我が一度動じて進んだならば、敵
が自らを守ろうとも、それに随うのではなく、そのままの招式で、これを打ち破り、自ら戦
闘の主導権を握ることをも謳う。

 第二の解釈であるが、これは戦闘時の原理原則から自然と導き出されるものである。
鶏形四把の招式を機に応じて変ずれば、敵はこれを防ぐことができない、すなわち難と
なるという意である。

 この句には、上記二つの解釈が可能であるが、これら二つの解釈に対して優越を付け
ることは価値の無いことである。なぜならどちらの解釈が妥当であるかは、戦闘時のそ
のときの状況によるからである。

 学者(鶏形四把を学ぶ者のこと)は、これらに留意しなければならない。


「学者要得真消息」

 解釈・・・・「学者」とは、「鶏形四把を学ぶ者」のことであり、「真」は「真実」、「消息」は「情
報」の意である。ゆえに、「真情報」を日本語に訳するならば、「真実の情報」すなわち「真
伝を得て、鶏形四把の拳理に精通する」という意となる。

 「学者要得真消息」、「学者は真消息を得ることを要す」。この句は、鶏形四把を学ぶに
あたってのひとつの戒めということができる。鶏形四把を学ぶ者は、真伝を得て、この套
路が持つ実戦性、練法等、深い拳理に精通しなければならないのである。


「全在動静両字間」

 解釈・・・・この句は、「全ては静動両字の間に在り」と読める。

 静動は、相反する二つの概念であり、これを演繹的に解すれば、「陰」と「陽」、「奇」と
「正」、「起」と「落」、「進」と「退」、「虚」と「実」であり、鶏形四把の拳理は、すべてこれら二
つの対立する概念である字訣に集約される。

 鶏形四把を学ぶ者は、明確にこれらの字訣の意義を把握し、「静動両字間」の意を悟
らなければならない。


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趙玉祥老師 鶏形四把動作説明
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